ユーロスペースでようやく『ハンナ・アーレント』を見た。起こる物事とその反響を「知って」はいても、生の人間が演じるのを見るのはまた別物 。
前半、ニューヨークでのインテリたちのドイツ語の響きと英語の交錯が耳に心地よいのは、議論がメタなレベルで行われていたからだった。アーレントが『イエルサレムのアイヒマン』を発表してから、アーレントとその思考の真の理解者のみが議論をメタなレベルに保持し、アーレントに失望したり、彼女を糾弾したりする人々は、哲学と現実を綯い交ぜにし、自分で自分を苦しめているように見える。
アーレントが騒動の渦中、やはり彼女の論考を最後まで読まずに失望を抱いたエルサレムの旧友を訪れて言う「一つの民族を愛したことはないわ。ユダヤ人を愛せと? 私が愛すのは友人。それが唯一の愛情よ」に、彼女が「なぜアイヒマンのような人物が生まれたか」というメタレベルでの思考と、ナチスへの憎悪を区別している内実が現れている。
ところで、初めて動画で見るアイヒマン裁判の記録映像の判事が三谷幸喜に似ているのと、アイヒマンがタモリが演じるハナモゲラ語を話すどこかの誰かに見えてしまい、不謹慎ながらもちょっと可笑しかった。
さて、今朝になって買ってきたパンフレット冒頭、2ページ目の二文目に「はて?」と思う。
「画像はバスが走ってきた道の方向に移り,別の一台の自動車が恰も前方をゆくバスを追うように走ってくるシーン.」
昨日、映画を見た限りでは、ファーストシーン、バスは真正面からそれを捉えるショットから入って右手に去り、別の一台はバスの去った右手からやってきて、左手に去ったと思うのだが…。
と、思ったらやはり、そうだった。岩波ホール作成のパンフレットなのに、校閲がきちんとされていない、この残念さ。