『アメリカン・スナイパー』
話題の映画で満員だったにしては、音楽なしのエンドロールなのに、
その途中で立って帰る人がとても少なかったのが印象的。こないだの
ドレスの色じゃないけれど、見る人の中身によってそうとう見え方が
違いそうな映画でした。わたし自身は厭戦映画だと思ったのですが、
それは子どもを撃ちたくないという描写、戦争後遺症についての描写
(とくにビデオやTVを見ているシーン)あたりに特に強く現れていると
感じました。
もうひとつ強く意識させられたのは、信仰と国について。なんだかん
だ言ってもアメリカはやっぱりキリスト教の国なので、真面目な信者
であればあるほど、神への信仰と国への忠義が重なりやすいのでは
ないかなあ、ということ。番犬としての道を、神を信じる「羊のように
弱い」人々のために進むことへの正しさが担保されやすいのではな
いか、ということ。でも実際に戦場に出て、子どもや女性を含む「敵」
をひとり、またひとりと殺していくうちにたまっていく澱のようなものが、
しだいに「国家はほんとうによき牧者なのか?」という疑問に変化し
ていく過程を、主人公だけでなく、そうした懐疑をしのばせた手紙を
書いて戦死する仲間を通して描いているように思えました。
「人間性を取り戻して」と、妻に懇願されるシーンでは、主人公はまだ
この疑問に向き合っていないと思うのですよね。おそらく「人間性?
仲間をやられたんだからやりかえすのは、人間性のある行為だろ?」
と混乱さえしていたシーンなのでは。軍人として生きることが、家庭
人として、自分自身の人生を生きることに先行していれば、そう考え
ていても無理はなさそうです。