『ダライ・ラマ14世』
自分は忘却の生物だなあとつくづく思う。法王さまのおっしゃる仏典からの言葉を、何度も
目にし、耳にしているのに、日々の生活を過ごすうちに忘れていることの多いこと!
わたしがチベット仏教に惹かれる契機となった言葉、「因果応報でマイナスのカルマを負っ
たとしても、(できることがあるならすればいいし、)できることがないなら、それ以上そのこ
とについて悲しまないように」と再び出会えたのはありがたかった。
もう一つ、「勉強して自分の能力で社会に貢献する」という部分だけは、言葉自体は忘れて
も、自分が自分であるために実践できていると思う。
ただ、これを実践しないと生きる甲斐がない、と思えるかどうかは、育ってきた環境が厳し
ければ厳しいほど、つまり「今いるここから抜け出すにはどうすればいいか?」という思いに
苛まれることで自覚する確率が高いように思うので、親からの虐待経験がなかったり、衣
食住足りて有名大学に通っていたり、東京の有名繁華街でつるんで遊べる「恵まれた」若
者にはピンと来ないかもしれない。
けれど、有名大学前でのインタビューで、いちばんチャラく見え、いちばんチャラい話し方の
男子が、「勉強すること」についてもっとも核心を突いていたように思ったのが愉快だった。