職場近くの岩波ホールでずっとかかってたのに見逃し、ようやくアップリンクで見た。
http://www.uplink.co.jp/nostalgiabutton/
『光のノスタルジア』
人を粗末に扱う、それも大量に、ということを人間が覚えたのはいつからだろう、と、チリの海中やアタカマ砂漠で発見されないでいる遺骨を思った。
第二次世界大戦中より、その後の世界の戦死(それがゲリラやテロの正規軍でないものも含め)や時の政権による虐殺の方が、人数が多いんじゃないだろうか。
戦争は様態を変えるごとに、そこで死ぬ人数が増えていくよね。古代ギリシャとローマの途中までは、戦争=自分たちの都市を守るのは市民の義務だったから、戦死者の数は少ない(市民をそうそう殺せないので)。ローマの途中からその義務を傭兵とかに肩代わりさせたところから、戦争は奴隷あるいは奴隷のような階級の仕事になったんだと思ってる。
そしてそこから戦争に行かない階級のはずの市民の命の軽さまでは一直線。古代ギリシャ人の「モラルが失われる暗黒時代」は、ギリシャ人を名乗る人々がいったん消えた時点=ローマ時代に到来してたんだなとか思う。
では、手遅れなのか? というと、わたしはそうではないと思いたい。大航海時代の「輸送」の途中に一定数、死んでもかまわないような奴隷制度を経て、モラルの感覚はまた定着しつつある、そう考えてる。
『真珠のボタン』
拷問の方法は、ナチもモサドも中国共産党のチベット人へのものも似通っていると、いつも思う(731部隊とかは尋問とかの建前さえない人体実験なので、ここには入れない)。チリの場合は、南米に逃れたナチ残党から伝わったのだろうか?
いや、第二次大戦前、欧州からの移民が先住民を「狩った」記録を見るに、おそらく人間の残酷さの発露には、なんらかの共通する部分があるのだと思う。