カタカナ語の多用し過ぎは、確かに文章を分かりにくくさせるし、
「日本語でおk」って言いたくなる場合は俺にもありますが
(そーいや俺も「エンパワメント」はあんま自分では使ってないし、使いたくもないなー、なんとなく)、
だがしかし、カタカナ語・外来語にあるニュアンスまでちゃんと含んでる言葉が、
日本語には簡単に見当たらないとか、日本語にすると逆に分かりにくくなるとか、って場合も多い気がすんですよねー。
平易な文章を、って事なら漢字の言葉の方が、それ自体は知らなくても、
文字から意味取れる可能性があるじゃん、ってのはあるかも知れませんけど。
「トランスジェンダー」を「性別越境者」とか「性転換者(あ、それは「トランスセクシュアル」か)」とか言ってみてもなんか違う気がするし、
「セクシュアリティ」を「性的現象」にしちゃうと逆に分かりにくいと思うのですよ。俺はね。
「セックスワーカー」「セックスワーク」と「風俗業」「風俗嬢」の場合だと、
また女(ヘテロ)の話"だけ"すんのかよ、ニューハーフヘルスや売り専の話はハブにするん?
……とかって感じがあるのかも、と思ったりはします。
こないだどっかで、
本当のドノンケは「ノンケ」って言葉も「異性愛(者)」って言葉も「ヘテロ(セクシュアル)」って言葉も、下手すると「ストレート」って言葉さえ知らない、
自分の事は「普通」とか「ノーマル」としか呼べなかったりする……ってのを目の当たりにした事があるんですが、
そういう、「多数派には名前がなく、少数派だけが名前をつけられ分離される」
話とか、
俺が前に自分のidページかなんかで書いた、
「ゲバラにしろホー・チ・ミンにしろ、革命家が得てして"えーとこの坊ちゃん"なのは何故か」
って話とも絡めると
(あ、あと識字障害っつーか文字認識における個人差の話もか)、
俺としては「うーん……」と腕組んじゃいたくなる話ではあります。