追い出されたり売られたり殺されたり、かと思えば上陸を拒否られたりと、かなり大変な目に遭ってるロヒンギャの人たちが、何故か(俺の実家からもそんなに遠くない)館林ら辺に逃れてきてるってニュース、
群馬を離れて数十年経ってて、そもそも館林にムスリムのコミュニティがあることすらよく知らなかった俺は最初びっくりしたんですが。
思い出してみると、「鶴の頭~首」らへんの東毛地区の工業団地とかに、
ブラジルを始めとする南米諸国の日系人の人たちが大量に雇われ始めて、いわゆる「ブラジル村」を作り始めるちょっと前(90年代になるかどうかって頃?)、
あのあたりに最初に働きに来たのは、パキスタンとかイランあたり出身の、(多くは)ムスリムの人たちだったんだよね。
父親と仕事で関わりのあったそういうムスリムの男性たちが、何人かで家に遊びに来て、ゴロンと大きな牛肉の入ったカレーを作ってご馳走してくれた記憶があるよ。
作る様子覗いた時に、肉の包みにアラビア文字みたいなのが印刷されてたのを覚えてる。……ハラルの肉だったんだろうな。
日系人が街に増えると共に、浅黒い肌に彫り深い顔、ゆったりした白シャツ姿の彼らの姿は減っていった気がするけれど、
その後も群馬に留まり続けた彼らの同胞たちが、今、同じ神様を信じるロヒンギャの人たちを支えてたりするのかもなーと思うとちょっと感慨深いのです。