あまり語りたくないんだけど、うちの両親は労働運動してたんだよね。
だから労働者の権利とか人権とかあと政治批判とかそういう話が家で常に飛び交ってた。
そういう意味で母を「リベラル」と言うんだけど、だけど私が子供の頃のそういうリベラルの集団って男尊女卑的な意識は普通にバリバリあって、一応男女同権とかも言いつつも、母が怒っていたようにそういう運動をする人で、女性であっても母の事を「奥さん」と呼ぶ人とかがいたりしたし、口では男女同権とか言ってても男の人の女性に対する扱いなんてひどうもので、小学生だった私も両親の友人にセクハラされたりした(だから私は両親の関わっていた運動嫌い)。
母は当時のサブカルチャーに結構傾倒していたらしく、いわゆる「良いお嫁さん」になるタイプの人じゃなくて、それで行き着いた居場所があれだったんだろうけど、本当のところ居心地良かったのかなって今も疑問。
中学生の頃ジャニス・ジョップリンの訃報を深夜のラジオで聴いて、ファンだという自覚はなかったはずなのに何故か涙が止まらなかったんだって話を、私が大分大人になってから聞いた。家族が寝静まった後に一人で離れでドストエフスキーとか読んで、寒くて広大なロシアに強く惹かれていたんだって。その女の子に私は会いたかった。
母が関わっていた「リベラル」の集団は、そういう部分を持ったままそこにいられる場所ではなかったんじゃないかって気がずっとしてる。
穴の塞がったえむぞうのことを語る