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穴の塞がったえむぞうのことを語る

前も一度書いたけど、私が大学生のときいたゼミの先生が、頻繁に私の苗字を間違えてたんだな。
わざとじゃないのは分かっていたから、私はそんなに気にしてなかったけど、何度目かのときに先生にすごく真剣に謝られた。「名前を間違えられるって本当に嫌な事ですよね」って。それでちょっと驚いたくらい。
自分の鈍感さが恥ずかしいくらいなんだけど、それ以来私は「そういう人もいるんだ」「悪気がなくても不快にさせてしまう場合もあるのかな」と想像するようになった。
でもこういう人に出会わなかったら、今でも私は他人の名前だったり、本人の意思に関わらず持っている属性を雑に扱わないようにするって事に無頓着だったかもしれない。私自身名前については結構色々言われがちで、それが特に子供の頃は嫌で本気で傷ついていたけど、傷つく方が悪い、過剰反応、もしくは言われて恥ずかしいと思う感性がおかしいとか言われ続けてきたので、鈍感になるよう教育されていたともいえる。これが転じて他人に対しても雑に対応していいとか、そうするべきだ、みたいな認識が育っていく事にもなる。
要するに自分を雑に扱わないという事を学ばないと、他人を雑に扱うのも当たり前になる。そういうのが積み重なって今の世の中できてるのかな、とか。うむ。考えが飛躍しているのは分かっている。