『耳をすませば』は別に派閥の話じゃないけど敢えて言うなら原作派。
2話の表紙のカラー絵がすごく好きで今でも思い出せる。
原作で聖司が描いていた絵も、本当に実在してほしい絵だった。漫画の手法じゃなくて物語の中の聖司の筆で描かれたものを実際に見てみたいと思った。
駿のおじさんがどっかでたまたま原作のコミックを読んでいいと思ったけどすぐ中途半端な感じで終わっててああ受けなかったんだなみたいに思ったってのを読んだ。細かい文言覚えてないけど、自分はいいと思ったけどその部分が少女マンガの中では受けないんじゃないか、ああやっぱりね、みたいな。それで「自分が完成させよう」的な映画と認識している。
それは愛だと思うし、あの駿のおじさんと私で同じものを愛してるの感じ入るものもあるしやっぱそうですよねーと(私は10歳の頃ラピュタに出てくるフラップターに乗りたくて仕方がなかった)思う出来事でもあるけど、でも駿のおじさんの『耳をすませば』と私の『耳をすませば』はやっぱり違う。
穴の塞がったえむぞうのことを語る