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史跡巡り同好会のことを語る

大森銀山続き。レンタサイクル調達後は町並み観光をひとまず終了、ここ一番の目玉で唯一常設公開されている坑道・龍源寺間歩を目指しました。
毛利氏関連史跡としては、元就を祀る豊栄神社と、大森銀山防衛網の拠点となった山吹城などがありましたが、山吹城は要害山というだけあって相当の険路、前日夜に激しい雨が降ったこともあって、登城を断念しました。


西本寺にある山吹城城門とのことですが、通りすがりのガイドさんによると、最近の研究では要害山上にあった寺の山門と見られているそうです。


豊栄神社はひどい荒れ様。
元々は洞春山長安寺という曹洞宗の寺で、元就が身代わりとして造らせた自身の木像が納められていたものの、関ヶ原の敗戦後、大森銀山が徳川幕府天領となって寺が荒廃したので、旧木像は萩の本藩へ引き上げられ代わりの木像が新たに作られ安置されたとか。
更に時を経て幕末、第二次征長戦争の時、大森に陣を置いた長州藩の隊士がその木像の話を聞き、浄財を募って境内を整備したという話で、今も隊士達の名が刻まれた灯籠や貯水槽、手水鉢などが半ば風化しながらも数多く残されていました。


拝殿奥の隅の方で「洞春山 毛利元就公菩提所御木像安置 長安寺」と記された石碑を発見しました。