五龍城址に登った後は甲立から三次行の始発に乗り、三次で福塩線に乗り換えて吉舎で下車しました。
吉舎での主目的地は、戦国時代に三次盆地東南一帯を支配した和智氏の居城、南天山城です。
和智氏は他の備後国衆の例に漏れず、大永年間の尼子氏最盛期、八代・豊郷の時に尼子方に降ったものの、毛利氏が元就の代に尼子方から大内方へと転じた後、元就と甲山城主・山内直通の仲介によって大内方に転じ、その後毛利氏に従って転戦しました。
九代・誠春の時には厳島合戦にも参加したものの、1563年に毛利隆元が和智氏居館で饗応を受けた後に急死するという事件があり、1569年伊予遠征の帰路、厳島神社にて弟とともに誅殺されています。
元就の陰の事跡を追う上では無視できない場所の一つ、というわけで。
南天山城址・尾崎神社より善逝寺を望む。ちょうどお盆の真っ只中で、車の出入が激しかったです。
善逝寺は、初代城主・和智資実の開基。
ここへは和智誠春の墓参りをするつもりで来たんですが、住職さん(?)に尋ねても「うちも和智さんやけどマサハルは知らんなー」とのこと。
http://www.mmjp.or.jp/askanet/samurais&temples-eijujiato.htm
一番詳しいと思われる上記サイトにも詳しい住所が記されておらず、現地でなんとかなるかなと考えてたんですが、駅前にも観光案内板など一切なく、無謀に過ぎたようです。
結局、ここでは城跡に登っただけで後の課題を残して終わりました。
吉舎の町並みは古く、昭和40年代で止まったままな雰囲気。
あの大村崑のオロナミンCを始め、古いホーロー看板もたくさん見かけました。
史跡巡り同好会のことを語る