引き続き吉田郡山城跡です。
資料館にはそれなりの観光客が来ていたものの、城山に登っている人はほとんど見ませんでした。
唯一、元就墓所でそれぞれカメラを抱えたカップル(夫婦?)が先行しているのに出会いましたが、私が三の丸跡に登った辺りでそそくさと下りて行きました。
実際、全面を木に囲まれ見晴らしの良い場所もなく、石垣もほとんどが崩落するか石材として運び出されているため、特に思い入れがない限り、あまりお奨めできる場所ではありません。
毛利元就墓所。一帯は、1573年元就三回忌に嫡孫・輝元が建立した菩提寺「洞春寺」の跡でもあります。
洞春寺は居城の移転とともに、吉田→広島→山口→萩→山口と移され、現在に至っています。
また、元就墓所の一段下には時親から元就の祖父・豊元までの八代に渡る歴代の墓と、隆元夫人(大内義隆養女)の墓、兄・興元の墓、興元の嫡子・幸松丸の墓があります。
(吉田各地に点在していた墓が明治になって集められたとのこと)
二の丸南側に一部だけ残された石垣。
調査によると約3mの高さがあったそうですが、明治初年の元就墓所改修工事の際に石材として使われたとか。
周囲には今もその残骸と思われる石が多く散らばっていました。
山頂にある本丸跡にて。左の竹は借用した杖です。
降り出した小雨と汗で全身はしっとり、雨で軟くなった地面にサンダル履きのため足元は汚れ、午前中の弥山登山でできた靴擦れの痛みに、短パンで剥き出しの脚は蚊に刺されまくって、なかなかひどいことになってました。
史跡巡り同好会のことを語る