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史跡巡り同好会のことを語る

8/15早朝から宮島の弥山に登った後、午後からは、元就の時代まで毛利氏の本拠地であった吉田(安芸高田市)へ向かいました。
この日は登山のため移動に時間を取れないので、18きっぷは使わず広島市内から1時間かけてバスでの移動です。
城攻めに行きたい気持ちを抑えて、まずは郡山城の麓にある吉田歴史民俗資料館へ。(先に登ってしまうと下りる頃には閉館してそうなので…)
やはり中世の毛利氏関連の展示が多く、郡山城や多治比猿掛城をはじめ周辺の毛利重臣達の城(桂氏の桂城、福原氏の鈴尾城、渡邊氏の長見山城など)まで紹介ビデオがあったりして、史跡巡りには大いに役立ちそうでした。
高校生くらいの若者も結構来てて(女子グループで今流行りの?歴女予備軍も来ていました)、毛利氏の人気ぶりを感じました。

資料館から登山口までの間に、地元の方が杖を提供してくださってます。ありがたい。
ちなみに紫色の幟はJリーグのサンフレッチェ広島を応援する幟。吉田にはサンフレッチェ三矢寮があるんです。
(そもそも「サンフレッチェ」が「三本の矢」から来ていることをこの日初めて知りました…)

元就が晩年を過ごしたという、御里屋敷跡(現在は県立吉田少年自然の家)にある元就公像。お髭フサフサ。

資料館から駐車場を経て本丸跡へ登る巡回ルートで最初に目にするのが、この「百万一心」碑。元就墓の前にあります。
郡山城拡張工事の際に、人柱の風習を止めさせる代わりに「百万一心」と書いた大石を埋め、「一日一力一心」と読ませて人々に団結を説いたと伝えられています。
幕末に長州藩士・武田泰信がその石を発見して拓本を取り、明治時代に山口の豊栄神社に奉納したそうで、その拓本を元に昭和6年に建立されたものです。
幕末には藩庁はすでに萩へと移されて久しく、郡山城も今とさほど変わらない廃墟と化していたと思いますが、武田さんも史跡巡りが好きだったんでしょうか。
ちなみに「百万一心」碑はここだけではなく、山口県を含めた毛利氏ゆかりの各地に建立されてます。