堺市の開口神社。神功皇后の勅願によって建立されたと伝わり、堺の集落はこの辺りを中心として発展したそうです。
祭神は塩土老翁神(開口村)、素戔嗚神(木戸村)、生國魂神(原村)で、平安末期に三村の神社が合祀されたことから「三村明神」とも呼ばれました。
また、明治の神仏分離までは、行基が創建した念仏寺が境内にあったことから、今も地元では「大寺さん」の愛称で呼ばれているそうです。
上方落語「疝気の虫」に登場する「大寺餅」は、慶長の頃から戦前までこの南門境内で売られていました。(今は移転してます)
歴史のある神社ですが、昭和20年の空襲で境内の建物は全焼、この拝殿も昭和39年に再建されたものです。
この日は春季文化財特別公開「三好一族と堺幕府」の期間中で、大勢の人がお参りに来てました。
(「信長以前の天下人・三好長慶」という題で郷土史家の方の講演もありました)
その堺幕府の中心人物、三好海雲元長が本拠とした顕本寺は当時この辺りにあったということです。
元長は十万の一向宗に包囲されて十文字に切腹したそうで、境内には戦死跡の碑が建てられています。
寺社巡り同好会のことを語る