三木市にあります、別所長治の首塚にお参りしてきました。
三木城址に近い雲龍寺の外れにある首塚。
こちらに掲示の「首塚記」によると、三木開城後、長治の首級は秀吉陣所より安土の信長の元に送られ、その後雲龍寺の七世春泰禅師により埋葬されたそうです。
三木城内にあった雲龍寺は合戦の際に焼失しましたが、後に領主となった杉原伯耆守(長房)の上訴により秀吉の寄進を受けて再建、江戸時代にも代々将軍家の御朱印状を賜り、明治時代まで檀家のない公寺だったとか。
またここで毎年1月17日、三木合戦の兵糧攻めで城内の藁まで食べたとの言い伝えにより、藁に見立ててうどんを食べる会が催されるそうです。
雲龍寺境内にある金毘羅宮の中を覗いてみるとこんな看板が…「別所公一族会総会々場」
史跡巡り同好会のことを語る