境内にありますそば屋「寿命そば」の入口に飾ってあった奉納額。
大釣鐘は天文24(1555)年に鋳造されたもので、天文5年から永禄6年にかけて、幕府・六角氏・浅井氏らの奉賛のもと行われた大々的な修造事業の一つだとか。
浄財を寄進した123名の中には「浅井猿夜叉」という長政の幼名も刻まれているそうです。
ちなみに当時の浅井氏は六角氏に臣従していましたが、この5年ほど後には野良田の戦いで15歳の長政(当時は賢政)率いる浅井軍が六角軍を破り、父の久政を竹生島に隠居させて家督を継ぐことになります。
紹介記事 http://dada-journal.net/culture/articles/483/