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ホリィ(新人)のことを語る

あと面白いのは、天正3年10月に宗景ら播磨の諸将が上洛して信長に謁見したことを、播磨平定の結果というよりも、彼らが宇喜多に対抗して信長に支援を依頼したものとしていることです。
確かに結果的には宗景の再興の願いが叶うことはなかったとはいえ、当時の信長の考えでは、永禄末頃から元亀年間に敵方として活躍した宗景の力を評価したからこそ、毛利と浦上の講和を調停した上で「備播作之朱印」を与えたわけで。(ちなみに宇喜多は永禄12年の青山合戦の頃にも一度離反したものの、この時はその年のうちに降参しています)

対する毛利は信長からの和解周旋の要請をあえて無視して宇喜多を支援、同時に長年の有力な同盟者であった三村氏一族を切ることで、備中兵乱の平定後には穂井田氏の名跡を継いだ元清(元就の四男)を中心に備中の体制を一新したわけです。
(軍記では吉川元春が三村討伐に反対したとされてますが、どうなんでしょうね)

信長と直接対決するつもりはなくても、備中はウチのシマやから好きにやらせてもらう、みたいな姿勢だったのでしょうか?