元就本とかまだ積んどく状態ですが、通勤時間に手軽に読めるサイズということで買ってしまいました。
著者は『宗教で読む戦国時代』の神田千里氏。一向一揆研究の中で通説的な信長像に疑問を抱くようになり、池上裕子氏の『織田信長』(吉川弘文館の人物叢書のやつ)をゼミで取り上げたのがきっかけで書いたものだそうです。
今ちょうど半分くらいまで読んだところですが、先行研究を咀嚼された神田氏による新たな信長像が提示されています。
近年よく指摘されてますが、「天下」という言葉が当時は日本全国ではなく畿内五ヶ国を示す意味で使われることが多かった点、信長が朱印とした「天下布武」は義昭を主君として畿内を平定し、将軍義輝の死により危機に瀕していた幕府の再興を公に宣言したものだということを、詳細な例を挙げて解説されています。
先日の大阪歴博での天野先生の講演でも三好政権の評価に絡めて同様の指摘がありましたが、明治以来国策として進められた、勤王家であり近世を開いた「革新者」としての信長像を原点とするのを一旦やめましょう、というのが現在の潮流と考えて良さそうです。
三好政権や織田政権を室町幕府-守護体制の変遷という視点で捉えることが「戦国時代」の理解に重要なんじゃないかなと。
そして、信長の実像を知るにつれ、秀吉という人の特異性が顕になってくる印象です。
この本でも、有名な恵瓊による信長と秀吉の評価「明年辺りは公家などにならるべく候かと見及び候、さ候て後、高転びに仰向けに転ばれ候ずると見え申し候、藤吉郎はさりとてはの者にて候」に触れて、伝統的権威に対する二人の姿勢の違いを示したものと捉えています。