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ホリィ(新人)のことを語る

お客さんは15人くらいだったでしょうか、しかし展示解説は気合いで1時間半くらい話されていたように思います。最初は皆起立して聞いてましたが、お年寄りは疲れて椅子に座ってました。
展示のメインは長宗我部氏の讃岐侵攻ということで、香川氏の天霧城、香西氏の勝賀城、仙石秀久や生駒親正が改築したという引田城、それに阿波三好氏を率いる十河存保が最後に篭った虎丸城などの遺構を元に書かれた縄張り図を元に解説されました。

讃岐では各地に長宗我部軍の蛮行が伝えられていて、地元にとっては屈辱的な歴史とされてますが、讃岐では沖積平野が広い上に傾斜が鋭く尾根が広がっていない山がほとんどのため、いわゆる「根小屋式山城」(平時の居館+戦時の詰城)が作られず、築城技術が発達していなかったのが、秀吉侵攻までの間に長宗我部氏の築城技術によってかなりの手が加えられた形跡が見られるとのことです。
具体的には、讃岐の山城は山頂だけを削平して築かれていて石垣が見られず、連郭式山城も長宗我部氏の侵攻以前には見られなかったのが、畝状竪堀が多数構築されたり、城郭史から見ると良い面もあったという話でした。

築城技術の未発達は、個人的には地形以上に細川氏一族が抑えていたことで、香西氏や安富氏など有力な国人衆の多くは細川氏に従って畿内を転戦していたため、現地で争っている余裕もなかったからではと思ってしまいますが、どうなんでしょうか。(天霧城の香川氏は三好氏の全盛期にも完全に服従させられず勢力を保ったままだったようですが…。)