小寺氏時代の姫路と英賀の繋がりとして、播磨鋳物師の統領、芥田五郎右衛門のことも調べました。
元は新田氏の一族世良田氏で、「芥田(けた)構居」(加西市上芥田町)を居城として後に赤松氏に属し、応仁の乱でも赤松政則に従って山名氏と戦ったとのこと。
それが天文年間に芥田氏を名乗って野里村の鋳物師を統括することになるわけですが、広峯神社には芥五郎右衛門が鋳造したという明応六年十月廿六日銘の推鐘があり、野里移住以前から製鉄に従事していたようです。
作刀でも有名な赤松政則も広峯神社に刀を残してますし、実は当時から付き合いは深かったのかなーと妄想しました。
しかし新田氏ということなら、芥田五郎右衛門が後に「藤原朝臣」とか名乗ってるのは嘘ということになりますね。(まあどこもやってることですが…)
英賀本徳寺の鐘も芥田五郎右衛門の鋳造ですが、英賀は書写山とは対立していて、大永5年には僧徒に強奪された鐘を山崎辺りで取り戻すという事件もあったとか。
芥田氏のことは、また今度更に突っ込んで調べようと思います。
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