あと、昭和52年に講談社から出された『兵庫 史蹟郷土史』も良かったです。(大型本なので借りて帰るのは難しいですが)
県内各市毎に担当者を変えて執筆されていて、中には今となっては地元でも史跡と認識されてなさそうな話もありました。
明石城以前に高山右近が築いたという船上城には、池田輝政の播磨入国に伴って池田利正、次いで利神城を築いた池田出羽守由之が入ったんですが、明石川の河口に水門を築いて城の南にある密蔵院という寺の裏を繋船場にしたり、堤防を築いて松を植え今も「出羽殿堤」と呼ばれていたりと、由之時代に水城としてかなり整備されたとのこと。
漂砂によって港が埋まるのを防ぐために海中長く波止を築いたのが今も「古波止」という地名に残されていて、江戸時代の盆踊り唄には「明石とのさん大き事願いた、岩屋が瀬戸へハア橋かきよ」と歌われたそうです。
姫路城と瀬戸内を直結する運河として計画された「三左衛門堀」もそうですが、池田氏は播磨に広大な領地を持っていたこともあり水運を重視したのでしょう。
池田由之も利神城など築城だけでなく、領国各地を回って町造りに手腕を発揮した形跡が残されています。
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