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ホリィ(新人)のことを語る

今日は少しだけ図書館で本読みました。
2012年の播磨学研究所編『姫路城主「名家のルーツ」を探る』、読んだのは一部だけですが、予想外に面白かったです。
野田泰三「播磨国衆・小寺氏」では、「赤松家風条々録」による赤松家臣団の構成や、段銭奉行を世襲した小寺氏の役割について分かりやすく解説されてました。
御着城の落城は天正8年正月10日夜(反町文書)、その翌日には三木城で最後の攻城戦が開始され18日に開城という流れだったとのこと。
その後毛利氏を頼った小寺政職は鞆で晩年を過ごしてそのまま没し、嫡男の氏職は如水に招かれて筑前へ移住して福岡藩に仕え、子孫の方が今も福岡市内におられるそうです。
小寺氏末裔の小寺敬三氏が所蔵する「小寺家文書」には、赤松義祐が守護として小寺氏に段銭徴収を命じる書状や、義昭が永禄11年の上洛に際して各地に協力を要請した御内書など約20通があり、中には初めて発見された「堺公方」足利義維の発給文書も含まれているとのこと。
(そういえば、義維が小寺氏に御内書を出していたという話は天野先生の三好長慶本でも書かれてました)
横田武子「黒田家先祖探しの旅-姫路心光寺の発見」にも調査の経緯が書かれていましたが、小寺氏直系の子孫を称し、政職の子を久兵衛正則とする天川家の伝承については、調査当時の黒田家でも疑念を持つ向きがあったようです。