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ホリィ(新人)のことを語る

材木町。本多忠政が火の用心と通行の妨げにならないよう、城下に散在していた材木屋を集めたのがこの辺りだそうです。
また、天正年間に三木別所氏に追われた増位山の僧侶が住んだ場所があって、明治末年までは増位町、俗に虚無僧町と呼ばれていたとか。
当時まだ反幕府方だった小寺氏が幕府方の別所氏から大攻勢を受けて、増位山地蔵院にいた官兵衛のおじさんの休夢(善慶)が有明山城で戦った時の話ですね、多分。
その頃の動向の記録は少ないようですが、地名は意外と後世に歴史を伝えているものです。今回改めて実感しました。

臨済宗妙心寺派、見星寺。景福寺の東隣にひっそりと建っています。
特に解説もなく気付かなかったのですが、検索したところ本多家ゆかりのお寺のようです。

寛延2年(1749)7月の市川の水害で亡くなった322人の弔いのため建てられたという石碑。
松平氏に代わって酒井氏が入城した年ですが、検索してみたらこの頃は財政難で大変だったようで、前年から大規模な百姓一揆が起きていたようです。弱り目に祟り目…。


これもこのお寺の墓地にて。
鉄牛和尚(塙団右衛門)の卵塔があるとのことでしたが、見つけられませんでした…。