光専寺にに関しては兵庫県ないし播磨の寺院を総合的に扱った史料は見当たらなかったのですが、神戸新聞文化部編『杜を訪ねて ひょうごの神社とお寺[下]』に光専寺の項がありました。
現住職の赤松誠真さんの言では、寺の縁起によると赤松円心が創建したという円応寺が前身で、正和年間に矢野庄が東寺領となったため真言宗に転じ、その後寛文5年(1665)に赤松義村の孫・小林義光(のちに釈正西)が実如上人の感化を受け真宗に転じ、六代教誓に至って寺谷から現在地へ移転したとあるそうです。また、寺谷以前の経緯は不明ですが近くには「改宗」という地名があって住民のほとんどが門徒なので、真宗に転じた頃にはそこにあったのではとも。
亀山本徳寺の『播州真宗年表 (第2版)』にある「1509 正西、赤穂郡矢野森村に光専寺を開基す『播磨国末寺帳』」と総合して考えると、1509年なら実如上人で間違いないですし、正西=小林義光ということであれば、教誓が現在地への移転に際して「感状山」の山号を名乗ると共に、当時地元で城主として知られていた義村の子孫であるという伝承を創りだしたと考えるのが妥当でしょうか。