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ホリィ(新人)のことを語る

さらに北上して、百々辻を西へ

建物は江戸時代に建てられた臨済宗の尼門跡寺院・宝鏡寺で、百々御所とも呼ばれていたそうです。

この辻の南北に流れる小川(こかわ)に架かっていたのが百々橋(どどばし)で、応仁の乱ではたびたび激戦が繰り広げられました。相国寺から山名邸に向かう途中で、すぐ側には細川勝元邸もあったようですし…。
小川は昭和38年頃に埋め立てられて百々橋も解体され、今は礎石が1つだけ残されてます。
後は室町小学校に礎石が1つ、洛西ニュータウンの竹林公園に礎石2つと復元された橋があるようです。
ちなみに応仁の乱から40年後、管領細川政元が澄之方によって暗殺された翌日の6月24日にも、澄元邸に攻め寄せた澄之方と澄元方の間で同じく「百々橋の戦い」が起きています。

今はこの辺りは小川通寺之内と呼ばれていて、その名の通りお寺が建ち並んでいました。
こちらはGODIEGO帝から法華宗号と勅願寺の綸旨を受けたという、妙顕寺。元は西洞院二条にあったのが、天正11年に秀吉の命でここに移転してきたそうです。

結構細い道なんですが、地元民は抜け道に使っているようで意外と交通量は多く、おちおち道路の真ん中で撮影してられない感じでした。