ようやく尼子氏の記事を書けました。ぜんぶ「詮久」表記で一度も「晴久」って書いてない気がするけど、まあいいか。
この時期の毛利氏はまだ安芸における大内方の国人連合の有力者ぐらいの立場ですが、次第にそれを束ねる実力を付けていったことを説明したくて、宍戸氏との連合と高橋氏の討滅についても書きました。
大内義隆や尼子晴久は決して出来が悪かったわけじゃないのよと説明しようとすると、むしろ元就あげみたいな内容になってしまいます。くやしいっ
あと尼子氏と浅井氏の連携とか書きましたが、足利義晴&六角定頼と細川晴元の関係はいまだに咀嚼できてないので、大ハズレの可能性もあります。
義晴は相手の事情(敵対関係)に構わず御内書送りまくってるみたいで、氏綱の挙兵で一時は氏綱方に付こうとしたこともあったようです。そういや信虎にも送ってましたね…