信虎といえば過去に何度かWikipediaで目にした、志摩における九鬼氏と地頭の争いに地頭側の軍師として参戦し九鬼嘉隆を追い落としたという説が気になってたのですが、ちょっと検索してみました。
Web上で確認できる出所はこれでしょうか。
http://kukihonryu.com/rekisi/sandanorekisi/19_kukiyositaka/kukiyositaka.html
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嘉隆と嘉隆の兄は籠城してこれに対抗。しかし不幸にも籠城戦の最中、兄浄隆は二十八歳の 若さで陣没している。それでも嘉隆は、新たに惣領となった幼い甥の澄隆とともに良く持ち こたえたが、ここで嫌な相手が現れた。当時、十三地頭の一人である甲賀藤九郎の館に 甲斐の武田信玄に放逐された武田信虎(信玄の父)が寄寓しており、この信虎が地頭連合軍の 軍師役を買って出たのである。伊勢の国司北畠具教の助勢と『甲斐の大殿』の軍略の前に さしもの嘉隆も大敗を喫し、再三切腹を覚悟するほどであったという。彼らは命からがら 朝熊山に逃れている。
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「水軍九鬼氏と三田・神戸の歴史」というサイトのコンテンツですが、北康利『北摂三田の歴史』という本からの転載のようです。
なんで三田かというと他の水軍大名の例に同じく、九鬼氏も近世には何だかんだと理由をつけられて内陸部の三田藩に転封されたからですね。
古い本かと思いきや2000年に発刊されたもので、著者は経営者層向け(?)の評伝などを書いている作家とのこと。信虎に関する記述は何かの史料を参考にされたのでしょうけど、明記されていないので分かりません。