id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

あと、後に義昭が上洛した際、義輝殺害と義栄の将軍就任を認めた容疑で近衛前久を追放したそうですが、前久の姉だか妹だかが義輝の正室なので、これが本当なら三人衆(と長房?)はえらい離れ業をやってのけたことになります。
義継の実母(十河一存の妻)は近衛家のライバル九条家で元関白・九条稙通の養女なので、そういう意味でも義継は蔑ろにされてるわけで。
義栄が阿波から担ぎ出されたのが、義継が長慶の葬儀と三回忌を立て続けに(喪を秘匿していたので)行って、後継者としとの存在をアピールした矢先というのも、その印象に拍車がかかります。

三好家の屋台骨を支え続けた忠臣という従来の篠原長房の評価が全く変わってくる話で、むしろ宗家当主の義継を差し置いて三人衆を操り三好政権の実権を握った奸臣くらいになりそうな勢いですよ。

まあ、長房が三人衆を指図するくらいの権勢を持ってたというのはフロイスの記述なので、例のごとくキリスト教贔屓の長房を持ち上げまくってるだけという可能性もありますし、いくら三好家が栄典授与されて朝廷からも認められたとはいえ、やはり現実的な判断として若年の義継では、まして覚慶が反三好方によって擁立されてしまった後では、如何ともし難いところだったのかもしれませんが…。

ちなみにCiNiiで「篠原長房」を検索してもヒットする論文は『永禄・元亀年間における伊予能島村上氏の政治的動向』(岐阜工業高等専門学校紀要)くらいで、さらっと内容読んだらすごい既視感あって、著者名確認したら今図書館で借りてる『西国の戦国合戦』と著者同じっていう。
そして、書籍検索では若松和三郎氏のみ。天野先生の長慶本でも長房のことはあまり触れられてません。

せっかく春には上桜城にも行ってきたんですが、最後の見せ場以前で気になるところが多すぎて、自分の中で長房の評価が分からなくなってきました。とりあえず義栄の件は置いといて、毛利包囲網から最後までを書く方がいいかな。