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ホリィ(新人)のことを語る

亀井氏は尼子の家老を務めた家柄で、尼子経久の側近を務めた亀井能登守秀綱が有名です。
(毛利氏が尼子方だった時代、幸松丸の急死後の家督相続に介入して、大内方に逃げられてしまったという、微妙なエピソードで知られる人です。活動時期が明らかに長すぎるので、能登守2代の事跡が同一人物として扱われているようですが)
亀井能登守は毛利との戦いで永禄7年に弓ヶ浜で杉原盛重に討たれますが、男子がいなかったため、同じく尼子重臣の山中氏の次男で、秀綱の娘を正室とした山中幸盛(鹿介)が亀井氏を継ぐ予定でした。(亀井鹿介?)
しかし、結局は兄に代わって幸盛が山中氏を継ぐことになり、秀綱のもう一人の娘(幸盛の妻の妹)を養女として湯新十郎国綱に娶せ、亀井の名跡を継がせることになった次第です。
鹿介は自分よりも一回り若い新十郎に尼子再興の夢を託して上月城から脱出させ、亀井茲矩と名乗って秀吉の麾下で活躍し鹿野城主となった新十郎は、鹿介の菩提を弔うためこの地に「鹿野山幸盛寺」を建てました。


この佇まいがいいですね。

鹿介の墓。

すぐ近くには茲矩の姉の墓もあります。亀井氏は残ったけど湯氏は残らなかったのかな…