登っていきます。
小さい山ですがとにかく暑くて…。
明治十年?亀井茲明とありました。子孫の方でしょうか?検索したところ、子孫も子孫で津和野藩主家の第13代当主の方でした。津和野藩の西周の薫陶を受けて育ち洋学の道を進み、日清戦争には日本初の従軍カメラマンを務めたそうで、その写真集も発売されているようです。
この方の曾孫に当たるのが(元?)政治家の亀井久興氏ですね。亀井静香氏の方は茲矩の兄で帰農したという吉助の流れを称していて、遠い親戚に当たるようです。
亀井茲矩のお墓。周辺に民家の少ない場所ですが、定期的に整備されているようですね。
読みづらいですが「慶長十七春二月二十六日」「中山道月大居士」とあるようです。中山道というのは琉球の別名で、毛利氏との講和により出雲半国を断念させられた茲矩が琉球国を希望し「琉球守」を秀吉から賜ったことに因んでいます。
織田・毛利の戦いと尼子再興戦の続きとして、いつか亀井茲矩のことを書きたいと考えていたんですが、ようやく素材が揃った感じです。