三好長慶に関してWebで見られる論文を探してたら、興味深い内容の論文を見つけました。
村石正行「小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流」
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-20130400-0039.pdf?file_id=86399
醍醐寺文書にある小笠原長時書状には、武田氏によって領国信濃を追われ在京していた長時が六郎殿(=細川晴元の嫡子)に馬術指南をしていたことが分かるとのこと。
また、長時は義興を通じて筑前守(長慶)の病状について知り得る立場であることから、三好家に深く関わっていたことが窺えるとも。
天野先生も小笠原氏を通じた上杉氏との連携の可能性を指摘されてましたが、この論文でも、将軍義輝から謙信に対して小笠原氏帰国への協力を促す御内書が出された背景には、三好氏の手引きがあったと推測しています。
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