阿波公方足利家の菩提寺、西光寺のお墓にもお参りしてきました。(お参りしたのは義稙、義冬、義栄の三代のみですが)
軽自動車でしたがどこから入ったらいいか分からなくて、後戻りできなさそうな道を進んでそのままお寺の中まで入ってしまいました…ゴメンナサイ
義冬の墓碑。
天正元癸酉年十月八日 慶林院殿實山道詮大居士
将軍義昭が京都を追放された後、三好義継が若江城を攻められ自刃するちょっと前ですね。畿内の情勢をどこまで掴んでいたのか分かりませんが、7月28日の天正改元をもって時代が変わったことを感じつつ最期を迎えたのでしょう。
子の義栄はすでに永禄11年に亡くなってますが、場所は富田普門寺と鳴門撫養の二説あるようです。
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