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ホリィ(新人)のことを語る

難産でしたがようやく享禄・天文の乱についての記事を上げました。
三好氏の時代まで一気に書くつもりで苦しんでいたところでしたが、時期を絞ったおかげで何とか仕上がりました。
河内将芳氏の『日蓮宗と戦国京都』を読んで京都の法華宗への理解が進んだのと、翻刻された天文年間の『祇園執行日記』収録された群書類従が近代デジタルライブラリーで見られたのが大きかったです。(ブラウザ上だと読みづらいので、拡大してスクリーンショット撮ってから読みました)
『祇園執行日記』はまだ読んでも分からない部分はありますが、とにかく法華宗が対本願寺戦の主力を担って摂津までたびたび出兵していたこと、細川晴国がその隙を突いて京都を脅かしていたことが分かり、併せて細川晴元の支持基盤の弱さも感じました。
千四五百もの人数で法華宗と争ったという「西ノ衆」「西衆」が何なのか気になりますが、他の史料も合わせて読み取らないと分かりそうにないです。
法華宗を目の敵にしていて、後の天文法華の乱の原因にも関わった延暦寺西塔のことかな、とも思ったのですが、「西衆西國ヘ出候」とか書いてるので違うか…。
あと、天文2年の祇園祭が延暦寺の訴えによって中止させられたものの、下京六十六町の月行事が神事は無くても山鉾は渡してくれと頼みに来た、というような話も含まれてました。