ちなみに後ろの席に座っていたのは高槻市しろあと歴史館の中西裕樹さんでした。この方は『近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編』で芥川山城など北摂地域を主に担当されてましたが、読み応えのある記事ばかりでとても良かったので、内心「おおーこの方が…!」って思いつつチラ見しました。
あと、質疑討論の時間に2つ前の席に座ってた年配の方が挙手され「静岡から来ました小和田です」って名乗られたんですが、小和田哲男さんでした。
中高生の頃によく読んだこの方の本が僕の戦国時代の基礎になってる、そういう方です。NHKとかでは何度か見てますが、生では初めてです。びっくりした。
検索してみたらブログにも書かれてた
http://ameblo.jp/owashiro/entry-12036385353.html
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馬瀬報告で、「御所」に堀はあるが、土塁がなかったことに興味をもちました。また、討論の中で、馬瀬氏が「戦乱が収まれば堀を埋めていたようだ」との発言があり、将軍の「御所」とは何だったのかを考える契機となったように思います。
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そういえばそんな話がありました。公家の方が堀を掘ったり埋めたり頻繁にやってて、防衛に熱心だったとも。
なぜ御所を城郭化しなかったのかという話、城を築くというのは恐れを露わにするということでもあり、将軍として相応しくない行為と世間から見られることを避けたのではとの意見がありました。
本圀寺の変の後に信長が御所を城郭化したのはひとつの画期になったという意見、いや秀吉の聚楽第の方が、などなど紛糾しつつ。
そんな感じで、専門分野が違う研究者たちが共通するテーマで意見交換しつつ、新しい問題を見出される場面なども生で見られて、面白かったです。(大学とかで研究経験のある人には見慣れた光景なのかもしれませんが)
受付で言われるままに名簿に名前を記入したんですが、どうも司会のお二人が会場の中から指名して意見を求めるのに使われてたようで、別に僕の名前要らんやろって思いました…なんか自意識過剰な人みたいで恥ずかしかった…。