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ホリィ(新人)のことを語る

行ってきました。とても良かったです。
午前の部「旧二条城」跡見学は割とあっさり終わった感じでしたが、京都市文化財保護課の馬瀬智光さんに発掘調査の結果から分かることや、現在の地形にどう影響しているのか等、解説していただきながら見て回りました。

現在の椹木町通が南内濠、義輝期の「武家御城」外郭に当たるとか。洛中の城館は基本的に平安京の条坊に従って築かれているそうです。
現在の烏丸通沿い周辺は、京都市営地下鉄建設時の発掘調査で、義輝期と見られる石垣のないV字形の堀跡、義昭期と見られる石垣のある堀跡、中には胴木組の痕跡やフロイスの記述を裏付ける転用石も多数発見されているとのこと。

「旧二条城」という呼称ですが、二条通にも面してないのになぜそんな呼び名が付けられたのかという疑問が参加者から多数寄せられたそうで。言われてみれば二条城からもかなり距離がありますし、近世二条城とは政治的にも連続性がないのに何故でしょうね。
石碑の場所については当時はまだ研究が進んでおらず、ここが北西角に当たると考えられていたのでは、とのこと。

平安女学院前に建つこちらの石碑は「斯波氏武衛陣 足利義輝邸」との呼称。当時の呼び名ではないものの、史跡としては事実に則した分かりやすい名前ということで、こちらの呼び名を推されてました。
僕としても、ここは応仁の乱で朝倉孝景が主君の斯波義廉を守って東軍方を何度も撃退した激戦の地、という思い入れが強いし、何より武衛陣町という地名にも残っているので、こちらの表記の方が嬉しいです。

御苑の中にある復元石垣。これも地下鉄烏丸線の工事に伴う発掘調査で見つかった物です。
解説板には「織田信長が室町幕府最後の将軍・足利義昭のために造った強靭華麗な居城の跡と推定」と。え、強靭??当時の洛中の建物としては、ってことかな。