昨日は神戸まつり行ったついでに次に買う本を物色しました。
今のところ確実なのは、河内将芳『日蓮宗と戦国京都』(淡交社)1800円、木下浩良『戦国武将と高野山奥之院』(朱鷺書房)2500円の2冊かな。
山田邦明『戦国のコミュニケーション』(吉川弘文館)2300円も欲しいけど…予算が…。
あと、浜口誠至『在京大名 細川京兆家の政治史的研究』(思文閣出版)をざざっと読んできました。
興味深いのが細川高国の評価ですが、高国は将軍義稙との権力闘争を制して、義晴前期に幕府儀礼を主導することで新将軍の後見人として地位確立を図ったとして、謀略による将軍廃立、畠山勢力圏の河内、大和への侵攻など武力による勢力拡大を画策した政元とは対照的に、儀礼による秩序形成、在国大名や国人の与党化など、政治力による勢力拡大を志向したと評価されていました。
高国の失脚後、義晴は近江在国中に側近を中心とした幕政を確立、義晴後期は在京大名の政治力低下により将軍の発言力が相対的に強まり、そのことが幕府政治の構造的変質をもたらしたとして、六角定頼の影響力の強さも指摘されていましたが、細川晴元は幕政運営からは排除されており、京兆家奉行人奉書による幕政補完と代行は継続していたものの、幕府における発言力を確保することはできなかったとも。
戦国期の管領は特定の儀式の際に就任する臨時職であり、すでに幕政の主導権には関係なくなっていたとして、従来の戦国大名論と戦国期守護論に加えて、在京して幕政への参加を志向した大名達を「在京大名」という概念で捉えて政治史上に位置づけるべきだと訴え、このタイトルとされたようです。
戦国期の幕府-守護領国制の研究で、二つの系統に分裂した将軍家とそれぞれの陣営に分かれた在国守護、という形で捉えられるようになってきましたが、「在京大名」は畿内政権の主導者としての「天下人」とはなんぞや、というところにも繋がる重要な概念だと思います。
非常に興味深い内容なんですが、ちょっとお高い6500円。どっか図書館で購入してくれるとありがたいんですが…。