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ホリィ(新人)のことを語る

河野氏のことを調べると、通昭に限らず、一族や遺臣たちの無念は相当強かったことが窺えますね。
道後にある義安寺には、天正13年の湯築城降伏に際して二君に仕えないことを誓って自刃したとの伝承があるそうです。




最後の当主通直は小早川家の縁者でもあり、湯築城の降伏は実際には小早川隆景が秀吉に交渉した結果のことだったようですが、河野氏の再興が秀吉に許されることはなく、通直は天正15年に竹原で死去しました。
「八幡藪事件」についても実際にあったことなのかは分かりませんが、そんな伝承が生まれた背景には無念の思いがあったんだろうなと。
河野氏は南北朝期には幕府方に与したため、南朝正統論の隆盛に影響を受け、同じ河野氏の庶流でも宮方に付いて北陸で戦死し忠臣として顕彰された得能氏や土居氏に比べて、地元でも長らく無視されてきた歴史もあるようです。(その辺は赤松氏とも共通してますね…)
湯築城が明治時代に史跡として顧みられることなく公園化されたのもそのためでしょうか。