秀吉襲撃計画「八幡藪事件」については、三原市八幡町に関連史跡があるようです。
http://www7.enjoy.ne.jp/~takanawa986/yukarinoti/kounosiyukarinoti.html
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河野一党の墓 (三原市八幡町)
墓は八幡町野串の街道の上にある。宝篋印塔一基を中心に大小三十の群墓で宝篋印塔、五輪塔はそれぞれ整った姿形である。文禄年間朝鮮出兵のため九州に向かう秀吉が、御調八幡宮へ戦捷祈願に参詣するところを、河野一党が襲撃する計画(八幡の藪事件)が事前に漏れて捕らえられ、一党三百人はその日のうちに処刑された。その総責任者が河野通昭、現場の指揮者は通軌であった。
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別府頼雄「河野氏滅亡と周辺の武将たち」というPDFもヒットしました。Webで見つかる内容ではこれが一番詳しそうです。
https://www.toon-lib.jp/H24kounosi.pdf
三原市の市史編さん室に尋ねたところ、「八幡藪事件というのはありません」との回答だったそうですが…。
面白いのは首謀者が「河野通直の養子甲立五龍山城主宍戸備前守通軌」としていることです。
このような伝承の存在が貫心流と宍戸司箭を結びつけたのか、それとも貫心流の開祖伝承からこのような伝説が生まれたのかは分かりませんが…。