その他、富田にて
町場の北門と土塁の跡だそうです。
富田に限らず畿内には交通の要衝が寺内町として発展した例がいくつか見られますが、現在の町並みにもそれが引き継がれているんですね。
両細川の乱を通じて在地勢力同士が常に緊張関係にあったため、城下町として集中化されることなく発展したとも言われてますが、そのおかげで近代以後も都市化を免れた(衰退したとも言えますが)わけで。
普門寺なども明治の廃仏毀釈の煽りを受けて荒廃、戦後ようやく再興されたそうですが、これが港湾地域だったらすでに跡形もなく破壊されていたでしょうね。
あと、ついでに松永久秀の出身地として有力な五百住(よすみ)もぶらついてきました。
町名としては「西五百住町」しか残ってなくて、西じゃなくて中央はどこだ…って探して無駄にウロウロしてしまいましたが…。
で、なぜか撮った写真がこれだけっていう。「ブラジリアン柔術道場」って貼り紙みた後でこれ見かけたので、グレイシー一族が高槻に!?とか色々と妄想してしまいましたよ…。
おやつも買いました。阪急富田駅前、栄久堂徳川さんの桜餅。ペロリですわ。
ホリィ(新人)のことを語る