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ホリィ(新人)のことを語る

最優先目的地の摂津富田にて

「富田道場」と呼ばれていた教行寺。蓮如上人の8男・蓮芸が入寺、御連枝として北摂の布教拠点となり、富田はその寺内町として発展しました。

こちらには文明8年とありますが、寺が建てた新しい碑には、文明13年に細川勝元の寄進により創建とあります。
一向宗が参加した細川晴元の政権内部抗争から始まり、法華宗や晴元の対抗馬の細川晴国らの争いも加わって泥沼の戦いとなった「天文・享禄の乱」で焼き討ちに遭ったようです。
天文5年に再建とのことなので、晴元との和睦によって再建されたのでしょう。
三好政権との繋がりもあり、5年に渡って近江へと追いやっていた将軍義輝を再び京都に迎えた翌年の永禄2年、蓮芸(兼琇)の長男で二世の実誓(兼詮)の娘が、阿波三好氏家老の篠原長房の元へ嫁いでいます。
(この女性と子息のことは長房ともどもブログに書きたいのですが、いつになるやら…)

境内には「蓮如上人御愛樹築山紅梅」の碑があります。

江戸時代に地元富田の漢詩人・坂田十松が「富田十勝詩」で詠んでいるそうです。
「老幹著花疎影横 暗香如水暮寒清 東風弔古教行寺 月白中庭鶴一聲」