だらだらと2ヶ月くらいかけて英賀城と本徳寺のブログ記事の続きをまとめてますが、なかなか表に出せる状態にならないまま、三好長慶の死後から信長が実質的な天下人になるまでを追っているところで、また素晴らしいブログを見つけてしまいました。
戦国大名池田勝正研究所
http://ike-katsu.blogspot.jp/
摂津池田氏、特に池田筑後守勝正を紹介しているブログですが、ちょうど今僕が注目している永禄末から天正にかけての畿内の動きを深く研究されています。
摂津池田氏は池田勝正の先々代にあたる筑後守信正が三好政長の娘を正室としていた関係で、三好政権では松永氏、芥川氏と並んで厚遇された一族です。
(この辺りの背景、三好政権における池田氏の役割は天野先生が2006年に発表された論文「戦国期畿内の流通構造と畿内政権」でも重要視されてました)
長慶の死後は三人衆方として松永久秀と戦った後、義昭の上洛を受けてこれに降伏、摂津守護として本領を安堵され、播磨侵攻では別所長治とともに先鋒を務め、更にいわゆる「金ヶ崎の退き口」でも三千を率いて参加するなど、一環して畿内の幕府軍の主力として活躍したものの、三好三人衆方の調略を受け家中に内訌が起きた末、勝正は出奔、やがて荒木村重や中川清秀によって乗っ取られることになります。
その際「作法あしく武勇も勝れず」等と記されたこともあってか、後世に不当な評価を受けてしまった勝正に光を当てよう、という主旨のようですが、三好政権についても興味深い内容が多く勉強になります。