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ホリィ(新人)のことを語る

若松和三郎氏の『戦国三好氏と篠原長房』に書かれていた情報を元に、富田の教行寺兼詮の娘が篠原長房の元へと嫁いだ件を『石山本願寺日記』から確認しました。
蓮如の末子で証如の側近となり後に枚方の順興寺の住持を務めた実従の日記「私心記」より。
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永禄二年 六月八日
富田息女、阿波篠原所ヘヨメ入也。悉皆是ヨリサセラレ候。△福島マデ御送候。屋クラヘ行見物候。
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遡って天文三年の記事を見ると当時から野田・福島とセットで記載されていて、すでに大坂の海の玄関口として利用されていたようです。
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天文三年 七月二十八日
御斎、野田・福島ヨリ被申候。汁三菜十。
△日中、御式アリ、如常。○三宅稱願寺、被来。
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元亀元年に三好三人衆が野田・福島の城を改修して立て篭もりますが、それ以前から本願寺の寺内町だったのかも。
だとすると、信長が本願寺の挙兵に驚いて慌てたというのはあまりにも迂闊だと思いますが…。