土曜は大阪城と合わせて大阪歴史博物館に行ってきたんですが、初めて常設展示を見てきました。
上町台地の北端に位置する坂の頂上が「大坂」で、大坂城の前身となった大坂本願寺のあった場所。古代にはちょうど博物館の建っている辺りに難波宮があったそうです。
地図上の赤い地名は津として栄えた場所で、緑の地名は本願寺の寺内町。
「渡辺津」は摂津源氏渡辺党の祖となった渡辺綱の母方の故郷で、全国の渡辺さんの発祥地です。現在の天満、近世以降「八軒家浜」と呼ばれた辺り。
こうして地図で見ると、三好氏が交通の要衝を抑えていたことが改めてよく分かります。
大阪相撲の展示もやってました。これがなかなか面白くて、昔から侠客と相撲の繋がりが深かったことや、「仲仕」と呼ばれる堀川沿岸の市場で荷揚げ労働者との関係など興味深い内容でした。
そういや壬生浪士組(後の新選組)が北新地で力士と乱闘騒ぎを起こしてますが、あれもそういう背景だったわけですね。力自慢で気の荒い仲間が界隈に大勢いたと。
大阪相撲の第14代頭取が朝日山四郎右衛門(二瀬川)という人で、その遺品が展示されていたんですが、この方が鴫野出身ということで、あっと思い至りました。
以前、鴫野にある八劔神社で見かけたこの石碑です。
大阪周辺には素人相撲(草相撲)の集団がいくつかあって、力士の供給源にもなっていたようです。
これも八劔神社にあった「郷土宮角力米川部屋頭取碑」
ホリィ(新人)のことを語る