昨日は雨の中図書館に篭って本読んでました。
吉川弘文館の昨年話題になった「石谷家文書」。
石谷家文書には三好政権期の文書がいくつか含まれてるのと、奉公衆石谷氏(石谷兵部少輔/兵部大輔)は「永禄の変」で逃げ延びて明智光秀に仕えたと言われてますが、どうも一時期は義栄方幕府に属していたらしいことが三好贔屓的には要注目でしょうか。
石谷頼辰は養子で斎藤利三の実兄、頼辰の異父妹にあたる石谷光政の娘が長宗我部元親の正室という関係。世間的には信長の四国戦略の変更、本能寺の変との関わりだけが注目されてましたが、三好氏と同盟関係にあった美濃斎藤氏の没落、三好政権と阿波三好家の変化も合わせて見ると、何か繋がりが見えるかもしれません。
ちなみに石谷頼辰は戸次川合戦で長宗我部信親とともに討死、石谷氏は没落。
あと、この文書が林原美術館では価値を認められずにずっと眠ったままだったというのが可笑しかったです。近世まで残らなかった大名クラスでもない武家の文書なんて、世間的にはその程度の扱いなんでしょうか。
ホリィ(新人)のことを語る