id:k-holy
ホリィ(新人)のことを語る

午前中はこの辺に行ってました。

三好長慶が飯盛城を居城としていた頃、奉公衆から三好政権に属して後に松永久秀の側近となった結城忠正(進斎、アンリケ)が城主を務めた河内岡山城があったという、忍ケ丘。今は忍陵神社という神社が建っています。
忍ケ丘駅からあらぬ方向に歩いてしまって、讃良川沿いに下って新池に出て、神社の裏手にある大正寺の方から登ることになりましたが…。

神社になって社叢が残っていると、こうして目印になってくれるから助かりますね。

大正寺の入口

こちらです。地図は摂河泉地域文化研究所編『飯盛山城と三好長慶』収録の福島克彦氏「河内の寺内町と都市論」に掲載の明治19年「河内国讃良郡岡山村地図面」より。