足利将軍家ゆかりの相国寺。寺名は中国五山制度の始まりとなった大相国寺、また左大臣を務めた足利義満に因んだものでもあるそうです。金閣寺と銀閣寺もここの塔頭寺院なんですって。
1605年に再建されたという法堂。応仁の乱では初期に東軍の陣地とされたため焼かれ、その後も天文年間に京都を制圧した三好長慶と京都奪還を目指す将軍足利義輝の戦いで焼かれています。
境内には八幡宮もありました。元は相国寺に隣接していた「花の御所」室町殿の鎮守として勧請されたそうです。多分かつて144万坪あったという広大な寺域が廃仏毀釈運動のどさくさで縮小されて移転した感じ?
ちなみに南門前に建つ同志社大学も元寺院の跡地だそうです。
今も4万坪という広い境内の散策は無料ですが、自転車が結構なスピードで行き来してて、ボーッと写真撮ってたらはねられそうでした…。
寺社巡り同好会のことを語る