室町幕府応援サイト『戦国黎明記』
http://sengokureimeiki.com/
ここ1年くらいの間に出会った歴史系サイトでは多分一番のお気に入り。最近、将軍義稙に興味が湧いたのは、阿波公方からの遡りもありますが、こちらの影響も大きいです。
管理人さんは義稙の将軍再任を明応の政変からの15年越しのストーリーとして捉えられていて、解説を楽しみに待っているんですが…。
http://reisenki.sblo.jp/article/163449707.html
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主役こそ、11代目足利義材と畠山尚順(畠山政長の嫡男)ですが
広く "義材親衛軍" を意味し
周防長門の大内義興や、能登の畠山義元
義材と共に諸国を旅して苦難を分かち合った近習や奉公衆
伊勢家で義材の為に奔走した隠れた重要人物伊勢貞仍
それから、上洛こそしていないものの
水面下で義材を支持し続けた越前の朝倉貞景
などなどなど…
公家の中には、義材の元に参じた者もいますが
京都にいながら密かに通じ
義材の帰りを待ち続けた者たちもいます。
それぞれの地にあった彼らの
心を一つに繋いでいた合言葉が…「きっと、帰って来る」
京都奪還へ向けて、人々の期待を一身に受けていたのが
政変で父政長を亡くした畠山尚順(ひさのぶ)当時19歳(満17歳)。
京都の公家から
その戦いぶりを「神慮」(神の御心)と讃えられたほどの人物ですが
その尚順に寄せられた人々の祈りとは…
時節をも 待ちて世にまた 尾張殿 出でて喜悦の 眉ぞ開かん
(※「尾張殿」は畠山尚順のこと。
「喜悦(きえつ)の眉を開く」は、運を開く、幸運を掴む
といった意味。 出典は同じく『金言和歌集』)
つまり―――「Come back 尚順 !!」
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しかし、どうも最近は時代を遡って尊氏・忠義兄弟と観応の擾乱辺りに興味が傾いてらっしゃるようで、明応の政変まで来るのはいつになるやらって感じに…。