この話に関連して、先月からWikipediaにふーむ氏自ら『落穂ひろい』からの剽窃と思われる箇所の削除依頼をされ、審議中となったようです。
「赤松政秀」「明石景行」「浦上氏」の記事が閉じられています。
経緯はこのログが参考になりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:削除依頼/浦上氏
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宗景・政宗兄弟の対立の経緯については、上記した活字の論文をを2003年に公表しており、拙サイトにおける該当箇所は自身の論文の内容を下敷きにして、平易な表現で記述したものです。しかし、それ以外の浦上助景の件、個々の人物の系譜関係等はウェブサイトで2005年から翌年にかけ初めて発表したものです。その後、拙稿や拙サイトを参照元とするかたちで近い内容を記述するサイトは現れていますが、拙サイトで公表する以前には活字も含め、全くこうしたことを書いたものはありませんでした。
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岡山県立博物館企画展『岡山の城と戦国武将』の感想(前編)
http://amago.hatenablog.com/entry/2014/09/22/125550
このブログ記事では浦上宗景の書状を読み解く際、Web検索から『落穂ひろい』の内容から引用して、氏の論文に辿り着いたことを明記しましたが、そこまで追っていなかったら…と考えると、身の引き締まる思いをいたしました。
ブログでは直接の引用という形ではない場合が多いので、複数の参考文献を元に自分の中で咀嚼したり妄想したことも含めて、「参考書籍、参考資料」として明記していますが…。