まだ詳しく見ていませんが、松永久秀と三人衆の対立では摂津の国人は池田氏を除く多くが松永方に付いているという印象があります。
中でも瓦林氏では左馬允秀重が永禄5年にはすでに松永の家老として大和で活動していて、元亀元年末頃まで記録が残っているようです。
一族には金山長信と同時期に三好義継の筆頭奉行人を務めた瓦林長親もいますし、義継が松永方に付いたのは瓦林氏の人脈も影響したのかなと感じています。
瓦林氏の系譜関係は掴めていませんが、受領官途や諱にあまり連続性が見られず難解そうです。おそらく高国と澄元、晴元と三好長慶の対立の中で分裂したのでしょうけど。
瓦林政頼の子孫と思われる旧越水城主の河原林対馬守(幸綱?)、永禄9年に越水城で討死したという瓦林三河守、荒木村重の家老を務めて花隈城でも戦った瓦林越後入道…。(常山紀談には名は治冬、後年に秀吉の怨みにより殺されたとありますが)
江戸時代には末裔が瓦林村に在住していたようですし、何かしら所伝はないものかと思っているんですが。