肝になるのは、三好長慶がどういう理由で将軍を受け入れて、その後も将軍家との関係をどうしたかったのかという点、そこに松永久秀がどういう役割を果たして、三人衆との対立に至ったのか。永禄の変もその流れの中で捉える必要がありますね。
伝承通り、長慶の生前から三好長逸が足利義冬・義親父子の阿波帰還を進めていたとして、それが長慶の意志ではなかったとすると、義輝との協調関係を維持しようとする長慶・義興・久秀ら宗家側と、長逸ら重臣層の間に緊張関係があり、義興と長慶の相次ぐ死によってそのバランスが崩れたという見方もできるかもしれません。
(むしろ、幕府に対して融和的な態度を崩さない長慶が倒幕への歯止めとなっていたと見るのは昔からの主流ですし)
そういう捉え方をするなら、安宅冬康が「逆心」により殺害されたと言継卿記が記した風聞も真実味を帯びてきますし、久秀が覚慶を保護したのも単純に傀儡化を狙ったという話ではないことに?
あと、清原枝賢が永禄の変に従軍したことをどう見るか。天野先生は久秀がブレーンの一人楠正虎による楠木氏の朝敵赦免に尽力するなど、あくまで足利氏の権威相対化を進める長慶の方針に忠実であったとする立場ですが、清原枝賢の従軍は義継が易姓革命思想を背景に将軍殺害の正当化を狙ったものと推測されてます。
清原枝賢の祖父は宣賢といって、孫以上に学者として有名な人で、晩年は一乗谷に定住して朝倉氏の文化興隆に尽力したんですが、その娘が細川藤孝の母親なんですよね。その辺りも妄想ポイントではあります。
ホリィ(新人)のことを語る